勉強会のお知らせ

スアレスDisputationes Metaphysicae勉強会のお知らせ
スアレスFrancisco Suárez Disputationes Metaphysicae勉強会を行います。

日時  2009年7月2日(木)6時30分より
場所  慶應義塾大学文学部 中川純男研究室
   (慶應義塾大学三田キャンパス教員棟2階206号室)
   
この勉強会は不定期で行います。このたびはDisputationes Metaphysicae32-I-22 Quae distinctio necessario intercedet inter substantiam et accidensを読みます。
>>第一回目勉強会は終了しました。訳を補足しました(7月4日)。


32-I-22.
Quae distinctio necessario intercedet inter substantiam et accidens.

Alii putant, necessariam esse in re aliquam distinctionem, saltem modalem.
Primo, quia ratio accidentis realis non constituitur mente nostra, sed in re esse debet, alioqui non esset ens reale, sed rationis ; ubi vero non est distinctio in re ipsa, non potest vera ratio accidentis in re ipsa consistere ; ergo ad veram rationem accidentis, oportet quod a parte rei sit aliqua realis distinctio inter illud et substantiam.
Minor probatur, quia alias nulla ratio afferri posset, ob quam attributa Dei, aut actus voluntatis, vel intellectus ejus, non sint vera et realia accidentia, quia si identitas non obstat, nihil est quod obstet ; nam etiam ibi est distinctio rationis formalis fundata in re, et completa per intellectum.
Secundo, quia si in re nulla est distinctio, nihil est quod in re accidat alicui ; nam idem non potest accidere sibiipsi, cum nihil possit cogitari magis essentiale quam idem sibi ; ergo sine distinctione in re non potest concipi vera ratio accidentis realis, nam de ratione accidentis est ut accidat alicui.
Vel potest aliter formari ratio, quia de ratione accidentis est aliqua realis inhaerentia actualis, vel aptitudinalis ; sed ejusdem ad seipsum non potest esse vera et realis inhaerentia, sed omnimoda identitas secundum rem ; ergo sine distinctione aliqua in re non potest vera ratio accidentis intelligi.
Tertio declaratur aliter , quia quando mens concipit diversis modis seu conceptibus eamdem substantiam, nullum format conceptum distinctum et adaequatum essentiae talis substantiae ; ergo quilibet ex illis conceptibus est inadaequatus substantiae secundum rationem substantialem et essentialem ejus ;ergo ratio formalis concepta in substantia, ut sola ratione distincta ab illa, nunquam habet veram rationem accidentis.
Primum antecedens patet, quia si substantia quaelibet concipiatur distincte et adaequate, ut in se est, solum uno conceptu concipietur, et secundum unam rationem formalem illi adaequatam et essentialem, quia nulla ratio formalis potest esse magis essentialis quam illa, quae est adaequata entitati rei, et ab illa in re ipsa non distinguitur ; ergo nulla forma vel modus potest habere in re veram rationem accidentis, nisi vel realiter, vel modaliter ex natura rei a substantia distinguatur.
Atque hoc modo intelligi videtur, quod D.Thom. ait, in 1, distinct.33, quaest, 1(4?), art.4, ad 4, ea, quae sunt in genere substantiae et accidentis, non esse in re idem, ut latius docet, 4 contra Gent., cap.14.

 実体と偶有性にはどのような区別が必然的にあるのか。
「(実体と偶有性の)何らかの区別は事物のうちにある、少なくとも(両者の)様態的な区別は事物のうちにある」と考える人もいる。彼らがそのように考える第一の理由は次のとおりである。
(大前提major)事象的な偶有性のあり方はわれわれの精神によっては形成されず、事物のうちにあるのが必然的である。さもなければ、事象的な偶有性は、事象的な存在者ではなく、観念的な存在者だったことになるからである。
(小前提minor)さて、(実体と偶有性の)区別が事物そのものにない場合、事象的な偶有性の真なるあり方は事物そのもののうちに存立することはありえない。
(結論conclusio)よって、事象的な偶有性の真なるあり方に関しては、偶有性と実体の間には事象的な区別が、事物のあり方としてa parte reiなければならないのである。
 小前提(minor:「事象的な偶有性のあり方は、(実体と偶有性の)区別が事物そのものにない場合、事物そのものに存立し得ない」)の論証は次のとおり。
さもなければ、それにより、神の属性、すなわち、神の意志の働きないし知性の働きが、真かつ事象的な偶有性でない根拠は、何ももたらされえなかったろう。というのも、同一性identitasが妨げない限り、妨げるものは何もないのであるから。というのも、この場合であっても、形相的根拠の区別が事物のうちに、たてられるのであるから。

 第二の理由は次のとおり。すなわち、もし事物のうちに(実体と偶有性の)いかなる区別もなかったら、事物において何かに付帯するものは何もないことになる。というのも、自身に同一であるもの以上に(自身に)本質的なものなど何も考えられないので、同じものが、自分自身に付帯する、ということなど、不可能であるからである。したがって、事物において(実体と偶有性の)区別がなければ、事象的な偶有性の真なるありかたratioは把握不可能であることになる。というのも、「何かに付帯する」ということは偶有性のあり方に依拠するからである。
 また、論は、別な仕方で形成されることも可能である。
(大前提)現実性の事象的内在、あるいは性向の事象的な内在のあるものは、偶有性のあり方に依拠している。
(小前提)ところで、同じものが、自らに対し、真に、かつ、事象的に内在することは不可能である。むしろ、どんな種類の同一性も、事物に関してあるのである。
(結論)したがって、事物のうちに何か区別がなければ、偶有性の真なるあり方を理解することは出来ない。

 第三に、別な仕方で主張される。
(前提)精神は、さまざまな様態や概念により、同じ実体を捉えるとき、精神は、そのような実体の本質の判明かつ十分な概念を形成しない。
(帰結)よって、以上の概念のうち、どの概念も、その実体の、実体としてのあり方ないし本質的あり方に照らし合わせると、不十分な概念なのである。
(帰結2)したがって、実体において、当の実体とは単に概念ratioの点で識別されるとみなされる形相的根拠は、決して偶有性の真なるあり方をもたないのである。

最初の前提の論証は以下のとおり。いかなる実体も、精神により、それ自体としてあるものとして、判明かつ十分に捉えられたならば、実体は、唯一つの概念により、その実体にとって十分かつ本質的な、一つの形相的根拠にしたがって、捉えられたことになろう。というのも、事物の存在性にとって十分であり、かつ、事物そのものにおける事物の存在性と判別されない形相的根拠ほど、本質的なものはないからである。ゆえに、偶有性が事物の本性上、事象的であれ、また、様態的であれ、実体と判別されない限りは、いかなる形相ないし様態も、偶有性の真なるあり方を事物のうちに有することは出来ないのである。
 トマスが「命題論註解」第一部33区分、問1(4?)第4項の4に関し、「実体の類と偶有性の類にあるものは、事物として同じではない」と主張したことは、以上のように解される。このことは、後に対異教徒大全14章で教示してくれることと同様である。


詳細は田子山和歌子(慶應義塾大学)japan.leibniz.symposium@g-mail.com まで。
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