セミナーの報告1

ライプニッツ・セミナー(第2回)報告 
第2回目のライプニッツ・セミナーでは、発表者の川添美央子先生に、ホッブズ『物体論』(1655)を中心に、ホッブズにおける真理論をお話いただきました。
このたびは、予想を超える多くの方に出席いただきました。また、発表、質疑応答を含め、3時間以上にわたり、議論がおこなわれました。川添先生はもちろん、お越しいただいた皆様にお礼申し上げます。

 『物体論』の真理論は、川添先生が専門の政治哲学にとってももちろん、ライプニッツ哲学研究にとっても、興味が尽きぬものです。この意味で、ホッブズの真理論は、さまざまな学問領域を魅了する理論であるといえるかと思います。このたびのセミナーは、分野横断の可能性を試みる機会でもありました。分野横断は、近年、ますます大きな課題となっていますが、実際においては、実現は容易ではありません。しかし、そうだったとしても、同一のテキスト読解を通し、共通の理解の場所を求める試みは意義あることだと思われます。

以下、発表者の川添先生、特定質問者の田子山和歌子がセミナーに関し報告します。
川添美央子<報告要旨>
 ホッブズの真理や言語については、古くはライプニッツによる超唯名論としての批判、20世紀初頭ではカッシーラーの『認識問題』、昨今ではザルカの『ホッブズの形而上学的決断』のように、ホッブズが言語や真理を事物そのものから分離したという認識が繰り返し提示されてきた。報告者の背後にある問題意識はこのようなホッブズ理解が妥当かどうか検討することであり、そのためにも、ホッブズの唯名論的な思想傾向を紹介しつつ、真理(真なる命題)の定立について論じられた『物体論』3章2節から8節を精読し考察することが、報告で行われた作業であった。3章2節や3章7節で「述部が主語を含む」と言われることの意味や、3章4節の冒頭についていくつかの解釈の可能性を提示してみたが、これらについては確信のある結論を導き出せたわけではない。
 また続けて、真理と事物との関係に関して鍵となるのは抽象名辞であり、その根拠に偶有性が据えられていることを確認したうえで、偶有性はどこにいかなる形で存在し、発生するのかを考えた。そして、偶有性が事物と人間の感覚器官との接点に存し、そこから抽象名辞が発生する以上、抽象名辞によって構成される真理のうちには事物の関与も認められるといえることが、最後に導き出された結論だった。

<感想>
 特定質問者の方が事前に周到にテクストを精読していて下さったおかげで、ご指摘や質問によって、一人で読んでいては気づかなかった問題を発見することができ、大変収穫の多い研究会となりました。報告原稿を準備するなか、自分でも「赤い」「丸い」という抽象名辞を断片的に得ることと、「林檎は赤くて丸い果物である」が真なる命題だと判断することとは別なのではないか…という思いがふとよぎっていたため、真偽の判断の問題やintellectusについてのご指摘を通じて、自分の中にくすぶっていた疑問が徐々に明確になり、今後の課題が少し見えた気がしています。先生方のコメントからも様々な示唆を受け、私が想像していた以上に、ホッブズが伝統的な論理学の思考様式の中で思考していたことを窺い知ることにもなりました。話が右往左往してしまい、まとまりのなかった発表にお付き合い下さったフロアの皆様、質問やコメントを下さった方々にあらためて心よりお礼申し上げます。
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