セミナーの報告4

ライプニッツ・セミナー参考資料2―ライプニッツのホッブズ批判
(翻訳:田子山和歌子)
(付録)ライプニッツのホッブズ評価
G.P.v4.158
Ex hac jam regula Nominales deduxerunt, omnia in rerum natura explicari posse, etsi universalibus et formalitatibus realibus prorsus careatur; qua sententia nihil verius, nihil nostri temporis philosopho dignius, usque adeo, ut credam ipsum Occamum non fuisse Nominaliorem, quam nunc est Thomas Hobbes, qui, ut verum fatear, mihi plusquam nominalis videtur. Non contentus enim cum Nominalibus universalia ad nomina reducere, ipsam rerum veritatem ait in nominibus consistere, ac, quod majus est, pendere ab arbitrio humano, quia veritas pendeat a definitionibus terminorum, definitiones autem terminorum ab arbitrio humano. Haec est sententia viri inter profundissimos seculi censendi, qua, ut dixi, nihil potest esse nominalius. Sed quae tamen stare non potest. Uti in Arithmetica, ita et in aliis disciplinis manent eaedem veritates etsi notae mutentur, nec refert decadica an duodenaria progressio adhibeatur.
以上の規則から、ノミナリストが引き出したのは、「もののあり方におけるすべてのものは、たとえ実在的な普遍ないし形相を欠いていたとしても説明可能である」という結論である。これ以上にわれわれの哲学者に適当な見解は何もなく、また、われわれの時代の哲学者に似つかわしい見解もない。私は、オッカムであっても、今ホッブズがそうであるほどには、ノミナリストではなかったと思うほどである。ホッブズは、私には究極のノミナリストであるように見える、と事実告白しよう。
と言うのも、ホッブズは、「普遍を名nominaに帰す」ノミナリストに満足せず、事物の真理そのものも名に存すると主張し、かつ、さらには、真理は人間の恣意に存するとさえ主張したのである。それは、真理は、名辞の定義に依拠しており、名辞の定義は人間の恣意に依拠しているからである。これは、もっとも思慮深い人々のうちにあると見なされる人の見解であり、私がすでに言ったように、これ以上ノミナリスト的な考えはありえない。しかし、この見解は、それでも成立し得ないのである。数学におけるように、他の原理においても、たとえしるしが変わったとしても、同一の真理が保たれるのであるからである。十進法かそれとも十二進法で数えられるかはかかわりないのである。

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