セミナーの報告

第4回ライプニッツ・セミナー 村上勝三(東洋大学) 
「見失われた形而上学―エウスタキウスとクラウベルクの間のデカルト」講演会報告
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7月10日に開催された村上勝三氏による講演会「見失われた形而上学―エウスタキウスとクラウベルクの間のデカルト」には約60名の出席者がありました。
講演は、哲学史におけるデカルト哲学の位置づけとその特殊性について、デカルト哲学成立「前夜」に焦点が当てられたもので、大変興味深いものでした。
講演は約3時間に及び、質疑応答も積極的に行われました。

当日の講演について、司会者の田子山和歌子が総括・報告します。

村上勝三氏の講演を聞いて               
                     田子山 和歌子
 17世紀哲学においてデカルト哲学の果たした役割とはどのようなものでしょうか。我々は教科書的な知識を通じて、デカルト哲学の影響の大きさを当然のように考えているところがないでしょうか。しかしデカルト哲学が17世紀哲学に新たな視座を与えたとするならば、それは具体的に何であるのでしょうか。村上氏の講演「見失われた形而上学」は、デカルト哲学の独自性を明らかにするとともに、デカルト哲学の根幹であるはずのデカルトの形而上学(存在論)が、実は、哲学史的には十分な形で受容されなかったことを示した、興味深いものでした。
 形而上学は「存在者である限りの存在者を扱う学」と言われ、諸学の最高位に位置する学の中の学である、というのが通常の理解であるように思われます。諸学の最高位にある学である以上、形而上学より上位の学は当然のことながら原理的には存在しえず、よって形而上学に先行する学は基本的に存在しえないことになります。
 これに対し村上氏は、デカルト形而上学の成立をデカルトの代表的著述である『省察録』に即して検討することで、認識論が形而上学の成立と密接な関係をもっているという立場を示しています。デカルトにとって認識論は、知の構造を懐疑の徹底により批判的に検討して確実な認識を見出すための場所でした。村上氏は、こうしたデカルトの認識論にとって「私」という思考者(講演においては「私の思い」と表現されていました)の役割は決定的なものであったとします。そして認識論を決定付けるこうした思考者「私」は形而上学成立の核にもなると村上氏は考えます。つまり思考者「私」は、認識論の基軸となることで形而上学を成立させる原理になるのです。
 このような村上氏の解釈は、デカルト理解においては不自然なものではありません。事実、デカルトの主著である『省察録』中の第一省察および第二省察において「私」という思考者は、すべての知識の基礎となるだけでなく、全存在者の基礎となる第一の存在者であるとも考えられています。こうした思考者「私」は、確実な認識を求めるために行われた方法論的懐疑が到達しうる最終地点であり、もっとも確実なものであるとデカルトは考えます。このように思考者「私」がもっとも確実なものであることで、思考者「私」は、あらゆる確実な認識を構築する上での基礎になるとデカルトは考えるのです。デカルトはまた、思考者「私」は、どれほど懐疑しても、というよりむしろ懐疑すればその分だけ、存在が認められる唯一の存在者であることから、思考者「私」は全存在者の基礎となると考えます。このように懐疑的な方法論により見出された思考者「私」は、全認識の基礎になるばかりか、その存在の確実性ゆえにあらゆる存在者の基礎にもなることになります。この意味で思考者「私」はデカルトの認識論と形而上学を緊密に結び付ける原理であるといえます。
 このようにデカルトにおいては、思考者「私」が認識論を通してえられることで、形而上学が確立されることになります。さて、認識論の枠組みの確立が形而上学に決定的な役割を果たすという、こうしたデカルトの発想はデカルト以前の17世紀初頭のスコラ学者であるスアレス、エウスタキウス、ゴクレニウスにも見られないわけではないと村上氏は指摘します。事実、スアレスの形而上学的著述『形而上学的論考』では、存在者はすべて、知性の働きが有する概念内容が、知性の「外」にもある「事象的存在者ens reale」であるか、それとも、知性の「内」にしかその存在が見られない「理拠的存在者ens rationis」であるか、という区分により分類されています。このように存在者を区別することで、事象的存在者を絞り込んでいき、事象的存在者を中核とする形而上学を構築するのが『形而上学論考』の目指すところです。注目すべきは、事象的存在者と理拠的存在者は、いずれも、知性の内にある認識内容の分析によって決定されるとスアレスが考えていることです。つまりスアレスにおいては、知性の区分が存在の区分になるのです。このことは、事象的存在者および理拠的存在者に区分する上で重要なのは「捨象」abstractioという働きなのだという、スアレスの考えからもより明確に理解されます。捨象とは知性の働きにほかなりません。形而上学の中核となる事象的存在者を、理拠的存在者から区別して、絞り込んでいくのは、捨象という知性の働きであるとスアレスは考えるのです。このように知性の働きによって、形而上学の中核となる存在者を絞り込んでいくというスアレスの方法は、デカルトと実によく似ています。デカルトの場合、確実な存在者を中核とする形而上学を構築しようとしますが、そのために彼もまた、認識を確実なものと不確実なものに区別して、より確実な存在者を絞り込んでいくという方法をとったからです。このとき確実な存在者を絞り込むときに用いられたのが懐疑という方法でした。このように知性の区分により、形而上学の対象となる存在が絞り込まれ、決定されるという点では、スアレスとデカルトは無視できぬほどの類似性をもっています。この意味で形而上学の中に事象的存在者と理拠的存在者という、認識の区分からなる存在区分を認めたスアレスは、デカルトの先駆とも言えるのです。事象的存在者と理拠的存在者を形而上学にみとめて、認識論が形而上学に決定的な役割を果たすと考える点では、エウスタキウス、ゴクレニウスも同様です。
 村上氏は、それにもかかわらず、スアレスらの形而上学はデカルト形而上学と決定的な差異があると考えます。それは、スアレスらの形而上学が依拠する認識論がデカルトとは異なり、思考者「私」を基軸にするものではなかったからです。思考者「私」は認識論の核ではないとすると、思考者「私」は形而上学の核ではありえないことになります。それゆえ、スアレスらとデカルトは決定的に異なるのだと村上氏は考えるのです。ここから、思考者「私」を中核とするデカルトの形而上学は、デカルトに近いと思われたスアレスらにさえなかった、空前のものであり、そしてデカルト以後にも引き継がれなかった、絶後のものであることになると、村上氏は考えます。
 後世に与えたデカルトの影響の大きさを考えると、しかし、デカルトの形而上学は後世に引き継がれなかったという村上氏の評価は、ただちに賛同が得られるものではないかもしれません。この点をどう理解すればよいのでしょうか。このことについて村上氏は、形而上学を思考者「私」を軸とした認識論と連動したものだとするデカルトは、ヒュームやカントにおいては、完全には受け継がれていないと指摘します。むしろ、認識論的枠組みのほうが受容されたにすぎないというのです。加えてこうした事情はデカルトの同時代人においても同様であったと村上氏は指摘します。たとえばデカルトの弟子であったクラウベルクの場合、形而上学は普遍的な学であり、思考者「私」の認識のような個的認識を扱う学ではないという考えから、思考者「私」を基軸とする認識論を形而上学から除外する傾向が強まっていきます。このように、思考者「私」を基軸とする認識論なしには考えられなかったはずのデカルト形而上学は、クラウベルクにおいて既に分断傾向に向かっていることがわかります。認識論と結びついたデカルト形而上学が、後世に引き継がれなかったという村上氏の評価は、以上のような事情を踏まえています。「私」を基軸とする認識論と結びついたデカルトの形而上学は、デカルト以前においてももちろんのこと、デカルト以後にも見られることがない。これが村上氏の「見失われた形而上学」の意味なのです。
 デカルト以前においても、そして、デカルト以降においても、思考者「私」を基軸とした形而上学はデカルト固有であるというのが村上氏の結論です。ではこうした形而上学をデカルトが考案し得たのはどうしてなのでしょうか。加えて、デカルトの形而上学がデカルト以後に十分な形で受容されなかったのはなぜなのでしょうか。このことは講演会にて多く質問され、議論されましたが、今後の更なる検討が期待される大きな課題であると思われます。
 デカルト哲学の受容史をデカルト哲学前史と関係付けることで、デカルト哲学の特殊性を位置づけようとした今回の講演は、デカルト哲学の受容史研究にとらわれがちな、われわれ17世紀哲学研究者にとっては、実に興味深く示唆に富んだものでした。
 このような機会を与えてくださった村上先生にお礼を申し上げたいと思います。
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