ライプニッツセミナーのお知らせ

ライプニッツセミナーを下記の日程で開催します。 NEW 
 
  
    ライプニッツ研究会 第4回シンポジウム
     バークリーとライプニッツ
       ――17世紀における法則理解――
  
      17世紀西欧の法則概念をめぐる混沌とした世界に、
      形而上学の観点から初めて切り込む

  

中野 安章  Yasuaki Nakano (ダブリン大学 トリニティカレッジ )
バークリー『運動について』における「力」の概念の批判

田子山 和歌子  Wakako Tagoyama ( 慶應義塾大学 )
ライプニッツにおける法則理解 ―実体論の観点から―

17世紀ヨーロッパにおいては、自然科学の発展に伴い、法則概念への哲学的関心が高まっていました。法則とは何かという問題は、イギリス経験主義、大陸合理主義を問わず多くの哲学者の間で議論されました。
法則概念の形而上学(存在論)的基盤はどこに求められるのでしょうか。今回のライプニッツシンポジウムでは、このような切り口から、イギリスを主たる活躍の拠点としたバークリーと、フランス・ドイツで活躍したライプニッツの法則概念について、それぞれ、中野と田子山が報告します。

日時/2011年10月29日(土)15時〜
於/慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎 441号室

主催/ 慶應義塾大学「論理学とフォーマルオントロジー」オープンリサーチセンター
(Open Research Centre for Logic and formal Ontology, Keio University )
お問い合わせ/ ライプニッツ研究会 コーディネーター 田子山和歌子 (japan.leibniz.symposium@gmail.com)
ライプニッツ研究会 (http://leibniz-japan.seesaa.net/)

1.バークリー『運動について』における「力」の概念の批判
                     中野 安章(ダブリン大学)

 最初期の『ノートブック』より『サイリス』に至るまで、バークリーは当時の自然学の発展と成果に絶えず関心を寄せ続けた。中でもニュートンの光学と力学に対する関心はとりわけ顕著であるが、バークリーに特徴的でまた同時代の英国人と比較しても稀有なことは、彼がニュートンの業績に最大の敬意を払いながらも決して批判的精神を失わず、その中心的諸テーゼに対しても常に自身の判断力をもって吟味し、時にはあえて自らの哲学的立場から「改釈」することをも辞さなかった点にあるだろう。
 バークリーは『知識の原理』(1710)で、ニュートンの『プリンキピア』に言及して、それが「自然の最良の文法学」を提示するものと述べた。「自然の文法学」とは、自然学の目標が物体の「隠れた性質」に由来する「作用」ないし「原因」を探究することではなく、現象が従う「一般的規則」を探究することにあるとする見解を言い表したものであるが、このように規定された自然学の枠内で、バークリーはニュートンの「世界体系」の理論にとって本質的な「力」の概念をどのように位置づけようとしたのであろうか。本発表では、この問いに対して、力の概念が最も詳しく論じられる中期の論考『運動について』(1721)に即しつつ、そこでの議論を否定的局面と積極的局面の二つの契機から検討していきたい。関心の主たる焦点は、バークリーが「力」を物体的実在の世界から排除して、「原因」の探究をまったく力学の目標の埒外に置くべきことを主張しながら、しかも力学という科学において力の概念に「有用性」という観点から意義を与えていることはどのように理解することができるか、ということである。
 『運動について』では、ニュートンのみならずライプニッツのものを含めて近代力学の形成過程で現れてきた「力」の概念と、それを巡る各派の論争が幅広く批判の俎上に載せられているが、バークリーが最も関心を寄せていたのはやはりニュートンであろう。そして、この著作の至るところに『プリンキピア』での記述に対する直接、間接の言及が見られるが、本発表では出来る限りバークリーがそれらの箇所で念頭に置いていたであろう『プリンキピア』の関連箇所にも言及しながら進めるよう試みたい。もとより、発表での目的は『運動について』をニュートンとの比較において十全に論じることではなく、あくまでもバークリー自身の基本的立場についての発表者の解釈を明らかにする上で必要な範囲でそうした比較をおこなっていきたいと思う。


2.ライプニッツにおける法則理解 ―実体論の観点から―
                       田子山 和歌子(慶應義塾大学)

 本発表は、ライプニッツの実体論と密接な関係にある、彼の法則(loi(仏)、lex(羅))概念を、17世紀における様々な法則理論との比較を通して考察することを目的にしている。中でも特に、彼が、個には固有な個的法則があると考えたことについて、ここでは検討したい。

 ライプニッツ法則理解の特徴とは何か。それは一つに、ライプニッツが、「法則は事物に内在する(lex insita in rebus)」と考えたことにある。これは、法則を事物本性と同じものとみなす理解である。しかし興味深いのは、彼がこのような法則「内在説」からさらに進んで、法則を個々の事物に固有な個的なものであると考えた点である。
 このことはたとえば「個のうちに持続しているのは、(個の)連続する継起を包摂する法則にほかなりません(Nec mihi aliud in eis est permanens quam lex ipsa quae involvit continuatam
successionem)」という彼の言からも明らかであると思われる。個の連続する継起とは、個に生じる出来事の連鎖のことであり、個の歴史ともいえる。こうした個の歴史を包摂するのが個のうちにある法則だというのである。
しかしながら、個的法則という考え方は、私たちが法則についてもっている常識的理解からすると奇異に見える。それは、私たちは法則を、個々の事物に固有なものではなく、むしろ、個別性や特殊性を超越したすべての事物に該当する普遍的なものだと考えるからである。落下法則が、物体の個別性や特殊性とは無縁なものとして、物体すべてに適用可能なように、法則は、事物がそれぞれ固有に有しているその事物ならではの個別性や特殊性とは無関係なものとして、事物に適用されるように見える。いやむしろ、法則は、個別性や特殊性に制約されることがないからこそ、「すべて」の事物に適用可能であるように思われる。
ライプニッツの哲学において個的法則という考え方が認められる背景はいくつかある。それは、個体実体概念という彼独自の個体実体論である。したがって、個的法則の概念は、彼の個体実体概念という発想を、法則概念にスライドしたものであると理解可能である。

しかし、こうしたスライドを可能にする、ライプニッツの法則概念とはそもそもいったいどのようなものなのか。このような観点から彼の個的法則を探究した研究はまだ多くなく、光を当てるべき余地は残されている。
本発表では、ライプニッツの法則概念を、他の哲学者たちとの法則概念と比較することで、その特徴を浮き彫りにしたい。
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